第2回、第3回と、2年連続で企画部門審査員特別賞を受賞した佐藤ねじさん。第2回の「話せる絵本 どうぶつほうもん」、第3回での「路上絵本」は、どちらも子どもへあたたかいまなざしと、思わずクスッとさせるようなユーモアに溢れた、受賞も頷ける企画作品です。
デジタルえほん社では、今年も受賞者の方々にインタビューを実施しました。今回はその第一弾。第3回デジタルえほんアワード、受賞者インタビューシリーズのはじまりです。
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《佐藤ねじさんインタビュー》2014/10/31(聞き手:堀合俊博)
デジタルえほんアワード受賞、その後
−−2年連続受賞おめでとうございます。
ありがとうございます。
−−1回目の受賞となった第2回デジタルえほんアワードへの応募のきっかけは何だったんですか?
社内でちょっとした勉強会をしているときに、何かアウトプットが合った方がいいんじゃないかということで、誰かがデジタルえほんアワードの話を持ってきたんです。それでみんなで応募しようかという話になって、それがきっかけです。
−−受賞されて反響とかはありましたか?
そうですね、もちろん反響もありましたけど、自分自身の変化が大きかったですね。自分には子どもがいて、日頃絵本は読んでいたんだけれど、デジタルえほんっていうジャンルはあんまり自分とは関係ないものと思っていたんです。応募した企画も、このアワードのために作ったというよりも、もともと別のかたちでやろうと思ってた企画だったので。
そんな中、受賞したことによって自分のなかでデジタルえほんというカテゴリーがすとんと入ってきた。その変化が大きかったですね。
−−最初デジタルえほんに対してどんな印象をお持ちでしたか?
世間では、デジタルえほんって言ったときにiPadやスマホの中で、プログラムによって動くインタラクティブ性がある絵本、という風に定義されているんじゃなかなあという感じはしていました。でも、ぼくはデジタルの領域で絵本以外にいろいろ作っているというのがあるからですけど、デジタル=スマホ・パソコンという風にはならなくて。もっと広く捉えて、むしろその画面の中から出ていくものが面白いっていう考えはありました。
−−受賞された「話せる絵本 〜どうぶつほうもん〜」「路上絵本」も、そういった画面から飛び出す発想から生まれたものでしたね。
佐藤ねじさんはお子さんがいらっしゃるということで、普段の中で子育てとデジタルの関係で気をつけていることなどはありますか?
ひとによってはスマホに触ることを縛ったりとかはあると思うんですけど、ぼく自身が仕事的にもすごく触ってるので、だからっていう訳でもないですけどあまり変に避けることはせず、特に何もしてないですね。
むしろ子どもがどういう使い方をしているのかを見て楽しむというか(笑)。ああこういう風に子どもは触るんだとか、2歳児でもこのインターフェースは分かるんだとか、そっちの方に興味があります。
《第3回デジタルえほんアワード企画部門審査員特別賞受賞作品「路上絵本」》
子育てと創作活動
−−お子さんが生まれる前と後では、創作活動に変化はありましたか?
基本的には何も変わってないと思うんですけれど、子どもができてから3年一緒に過ごして考えることは、これはもうかなり違いますね。こども向けの制作に関しては、子どものインサイトというか、気持ちだったり、子どもを持つ親の気持ちが分かるようになったので、変化はあったと思います。まだ子どもがいない時は、だいたいこんなもんだろうと高をくくって、結果的に自分を含め大人が楽しめるような凝ったものにしようとしてしまいがちなんですね。だけど実際にはそんな必要はなくて、極論ただアンパンマンがぽんっと出ればそれだけで子どもは十分満足してくれるって場合もあるので(笑)。逆にあんまりやりすぎない方がよかったりするっていうことは、子どもが出来てから感じることですね。
違う土俵での戦い方
−−ねじさんと言えばアイデアメーカーという印象があります。ご自身のアイデアの特徴やテーマ、こだわりはどんなところだと思いますか?
「隙間」というか、「違う土俵で戦う」ということですね。みんなが集って注目している技術とか、流行のジャンルがあると思うんですけれど、あんまりそこで頑張る気が起こらないんですよ。どちらかというと、あまり人が注目していない「隙間」をみつけることに力を注いでいます。すごくクオリティの高い感動の3D映像!っていうのはまったく作ろうとは思わなくて、むしろその1/10の技術しかなくても、3Dの使い方を変えて軸をちょっとずらす、という考え方です。
そういうのを“ブルーパドル”って読んでるんです。パドルっていうのは水たまりのことです。ブルーオーシャンを見つけようっていうのは、例えばARが無かった頃にARを見つけるみたいなことなので、ぼくは技術者でもないのでできません。そうではなくて、逆にもう使い古された、散々やられつくされたと思われている領域の中から、「まだあったんだ!」っていう驚きを発見することに燃えますし、やりがいがありますね。
絵本もある種そういうジャンルで、伝統的なものだし、脈々と続いてきた歴史があるので、そこで戦うわけではなくて、絵本っていう文脈をインストールした上で、ちょっと違う配合をする。
ぼくの中での解釈としては、絵本は最低要素としての絵と文字がなんらかのかたちで存在していて、ちょっとしたフィクションや教えがあるものなんです。絵本の中には、どうぶつの鳴き声だけとか、日常の中のある一点をぽんっと置くような、これでいいんだってぐらいあっさりとしたものもありますよね。でも、こどもにとってそこから知ることってすごく多いんですよ。銭湯の絵本を読んで、銭湯に行きたいということがあったり、世界を知る最初の入口だったりする。
そうやって、絵本の定義を自分の中で発見していくと、絵本の最大公約数というか、どこまで省略していって絵本が成立するか、というところになるんです。実際考えていくと、隙間だらけのように感じるんですね。今回出した「路上絵本」もそうですし、あれだけじゃなくて、他にも実はまだいっぱいやりたいことありますね。
アイデアメーカーとしてのルーツ
−−そういった新しい視点でだれかを驚かせたい!という発想は、小さい頃に何かルーツがあったりするものなのでしょうか?
クラスで絵が上手いやつっているじゃないですか。そんな、一番絵が上手いやつにはぼくは絶対なれなかったんですよ。まあまあ上手いところにはいたんですけれどね。
絵がうまいやつが何で評価されるかといったら、ぼくの頃だったらドラゴンボールの絵を上手に書けるとか、そういう人がやっぱり人気が出るんです。ぼくはそこまでうまくなかったので、こそこそとオリジナルのマンガを書いてたんですよ。そのころから思っていたのは、いくら絵が上手くても、それは鳥山明先生の作品だと(笑)。それは鳥山明先生が偉いのであって、君はただ模写するだけのスキルがあるだけだ、と思っていました。その頃からオリジナルに対しての思いはすごいありましたね。
−−子どもの頃はどのように育ちましたか?
平々凡々とした家庭だったと思います。ぼくってほんと普通なんですよ(笑)。佐藤で、A型で、次男で、親は公務員で、勉強はまあまあの成績、マンガはドラゴンボール、音楽はブルーハーツとか聞いて。そんな感じでずっと普通だったんですけど、昔からアイデアを考えるのは好きで、変なことを言う子だったって、よくおばあちゃんとかに言われますね。
高校生ぐらいのときにデザイナーの道にいこうかなと思って、本をたくさん読んだんです。そのときに、たとえば『デザインの現場』などを通してクリエイターを知り始めて。
そのときに知った佐藤雅彦さんが、いまに繋がる一番大きな影響を受けた人です。佐藤さんは「考え方を考える」ということをずっと言っていて、新しい考え方の発想法を作れば、新しいものは生まれるっていう、その考え方自体にすごく影響を受けて、それはずっと脈々と続いていると思います。
『佐藤雅彦の全仕事』っていう本の後ろの方の巻末に、佐藤雅彦の発想法10コみたいなのがあるんですよ。はじめてそれをみたときには、「やった、手に入れたぞと!」と思ったんですけど(笑)、実際にそれを使って発想しても、あんまりいいアイデアが出なかったんです。
その時はわからなかったんですけど、それはあくまで他人の発想法で、自分にインストールして意味は分かっても、なかなか肌に合わないと使えなかったりするんですよね。
「普通」から5度ずらす
−−佐藤さんの中で「普通」とは一体どういったものでしょうか?
常識を知らないと非常識は作れないじゃないですか。デザインも、ちゃんとしたデザインを作れるようになるから奇抜なものも作れるし、その「ずらし方」が分かる。その構造や方式は、発想法にも全部通じていると思うんです。
奇抜な発想って、普通に対して180度逆転の発想みたいに言うけど、180度回ると意外と普通に見える。そうじゃなくて、5度ずらすとか、9度ずらすみたいな、そういうものの方がおもしろいかなあと。パッと見た感じ普通だけど、なんかおかしいみたいな。そういった「違和感」は、0度である普通を発見しないと、わからないと思うんです。
−−日々の中で、アイデアを出すために特別にしていることはありますか?
アイデアは、普段スマホで貯める場所を決めていて、そこに書き溜めたものを週末にノートに書き写すようにしています。ぼく、メモ魔なんですよ(笑)。ノート術とか、ああいうのが大好きなんですね。どうメモするかということにずっと常にライフハックを繰り返すというか、それ自体が楽しいんです。「INTERESKINE」は、アイデアメモそのものが一個のコンテンツになるんじゃないかなというひとつの実験ですね。自分で使えないなあというアイデアの一部をあのサイトに無料販売すればいいなあと。
《アイデア無料販売サイト「INTERESKINE」》
−−どういうときにアイデアを思いつきますか?
思いつかない時っていうのはなくて、思いつかないときはメモができない状態にあるときというか、そんな感じです。まあつぶやきに近いんですよね。いいつつぶやきはいつ思いつきますかって言われても言えないじゃないですか。
−−「さいごの世界大戦」や「今日は2011年3月10日かもしれない」など、社会派とも言える作品はどういった経緯で生まれたのでしょうか?
もともとは個人プロジェクトで、マイルールとして、佐藤なので3月10日になにか作ろうというのがあったんです、前の年は佐藤フィルターっていうのを作って。次になに作ろうかなってぼんやり考えた時に、そもそも3月10日って311の前だよなあと思って。
《いろんな場所で「佐藤さ~ん」と呼んで、どれくらい「佐藤」がいるか確認する「佐藤フィルター」》
けっこう震災に対しての思いはあったんです。でも、やっぱりああいったものを出すと、強い批判も当然来るじゃないですか。それに対してどきっとはしたんですけど、同時にやっぱり世に出すことはやっぱり責任があるんだということを再認識しました。いまはネットでみんな軽く世に出しちゃうから、その感覚が薄れがちだと思うんですけど。自分の中に軸がないといけないなっていうことはすごく思いました。
ぼくは僕自身をアーティストという風に定義していないんですけど、こどもができたこともあって、何か社会的なことに対してぼんやり思うものもあったんです。それは自分の中でツイートに近くて。ちょっとおおげさなツイートというか。だから「さいごの世界大戦」も、あれはRTなんです。みうらじゅんさんの言葉があって、めっちゃいいじゃんって思って、RTをした。その仕方をちょっと大袈裟にした。
《「今日は2011年3月10日かもしれない」
「明日」「無事」「福島」「おにぎり」のツイートを地震の前後で比較することができる。》
《「さいごの世界大戦」》
ぜんぜんぼくはそこに深い知識があるわけでもないし、批評家みたいなことはできないですけど、そこに身を投じていくことで、思考が深まるというのもあるし、逆にまったく触れないのも変だなって感じがします。
「絵本なのか何なのか分からないけど、変なものをちょこちょこ出してるおじさんがいるね」っていう、そういうのになりたいですね(笑)
−−これからの目標がありましたらお聞かせ下さい。
こどもと一年に1回作るとか、何個かシリーズがあるんですけど、絵本も今後やっていきたいですね。デジタルえほんアワードがあったおかげで、そのジャンルが自分にインストールされたので。たとえば10年ぐらいやり続けてると、何かひとつ磁場が生まれるんじゃないかと思います。「絵本なのか何なのか分からないけど、変なものをちょこちょこ出してるおじさんがいるね」っていう、そういうのになりたいですね(笑)。
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佐藤ねじ式発想法についてのお話を聞くことができた、とても貴重なインタビューとなりました。クリエイターの方には参考になる部分たくさんあるのではと思います。
なんと、その後「路上絵本」の企画が実現化されたとの嬉しいお知らせを頂きました。今後はワークショップの展開なども思案中とのことです。
わたしたちをクスッとさせてくれる佐藤ねじ式アイデアの、さらなる活躍を期待しましょう。
(ほりあい)
※第2回デジタルえほんアワード審査員特別賞「話せる絵本 どうぶつほうもん」過去の紹介記事はこちら